2016-11
昭和記念公園の秋
昭和記念公園の秋はコスモスから始まりました。
秋の花といえばコスモスですが、何年か前にシュウメイギクという名前を覚えてから、いろいろなところで目に付くようになりました。白は清楚、ピンクは可憐。
コスモスもシュウメイギクも10月に撮ったものですが、夏の終わりから木々が色づき始める頃まで、公園に行くたびに、どの色が咲いたかな(コスモス)、まだ咲いているかな(シュウメイギク)とこの花の咲き具合を見ながら季節の移り変わりを楽しむことになります。
そして、11月。公園に入った途端に、オレンジ、黄、赤、グリーン、茶と様々な木々の色が目に入り、枯れ葉の香りが漂い、秋になった喜びを感じさせてくれます。都心より少し早く秋が訪れる昭和記念公園、私にとっての秋は昭和記念公園から始まります。
November – 森のウェディング
湖を後にして森に行きました。森では、赤、オレンジ、黄色の葉が秋の光に照らされて、きらきらと輝いていました。
森といっても、ここはホテルの敷地内の森でウェディングも行われるため、今回も美しい花嫁さんがいらっしいました。
空を見上げると、秋って素敵だなと思うのです。
November – 湖の秋
11月 – 12ヵ月の中で一番好きな月 – が流れるように過ぎて行く、、、
ノルマンディ、パリの旅の記録をつづることは記憶の旅を続けることであったので、もう一度旅に出た気分を味わいました。記憶の旅では古い時代にも行ってしまったので、今はかなり遠くから戻ってきた気分です。一方、現実の世界では、一番好きな11月が過ぎていき、今年の秋も心に留めておかなくてはと思い、少しだけ写真も撮りに行きました。
まずは、湖の秋から。
11月の湖には、まだバラが咲いていました。明け方降っていた雨のしずくが花びらに残っていました。
11月3日が今年最終日となり、来年の春までクローズしてしまうレイクガーデン。クローズ前ぎりぎりに訪れることが出来ました。この何年かで一番Ivyの色づきが良くなかったものの、このような雰囲気も好きです。
着いた時にはグレイだった空がいつの間にか青空に。
湖の下にはもう一つの世界がある、そんなことを想像してしまうように、水面に映るもう一つの世界。
この後、森に行きました。
There Is Never Any End to Paris (パリに終わりなし)
Ritz のバーにヘミングウェイがF・スコット・フィッツジェラルドに連れられて初めて来たのは1920年代後半のことで、当時フィッツジェラルドはすでに作家として有名で、このバーの常連となっていたそうです。ヘミングウェイはまだこのころは毎週このバーで飲むほどの稼ぎはなかったものの、のちにバーだけではなく、ホテルの部屋にも好きなだけ滞在することが出来るようになったとのこと。(参考:ヘミングウェイのパリ・ガイド 今村楯夫著)
ヘミングウェイには、「A Moveable Feast(移動祝祭日)」という1920年代のパリについて書かれた作品があります。この作品の扉には、
もしきみが幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる
なぜならばパリは
移動祝祭日だからだ
―――――――ある友へ
(「移動祝祭日」福田陸太郎訳)
と書かれていて、「サン・ミシェル広場の良いカフェ」から始まり、「シェイクスピア書店」「セーヌの人々」「飢えは良い修行だった」「スコット・フィッツジェラルド」など、パリにおける修行時代のことが書かれていて、「パリに終わりなし」で終わっています。
最後の部分は、
パリには決して終わりがない。そこに住んだ人の思い出は、他のだれの思い出ともちがう。私たちは常にパリへ帰った。その私たちというのが、だれであったにせよ、また、どんなにパリが変わったにせよ、あるいは、どんなに苦労して、または、どんなに容易に、パリへもどれたにしても。パリは常にその値打ちがあった。きみがそこへ何をもって行っても、そのお返しを受けるのだった。だが、これは、私たちがとても貧乏でとても楽しかった昔のパリのことである。
(「移動祝祭日」より抜粋)
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長期にわたってノルマンディ、パリの旅の記録を書いてきましたが、とりあえずこれで終わりにします。自分自身の旅の記録として、また何人かの方がノルマンディは行ったことがないので様子を知りたいとおっしゃっていたので、何かの参考になればと思い綴ってきました。今振り返ってみると、つい先日のようにも思えますし、ずいぶん昔のことのようにも思えます。その時のシーン、会話などが鮮明に思い出されるところもあれば、あれ?どうだったのかな?とすでに忘れてしまったこともありますが、とても良い旅でした。またフランスに行く機会があったとしたら次はどこに行きたい?と聞かれたら、「ノルマンディもまた行きたいと思うし、パリ以外の地方も行きたいし、やっぱりパリはもう少し長く滞在したい」と答えるでしょう。パリには終わりがないですものね。そして、心の中では「1920年代のパリに行きたいな」なんて思うかもしれません。
Hôtel Ritz (リッツホテル)
パリには、有名なホテルがいくつもありますが、その中でも、リッツは特別なホテルだと思います。多くの王侯貴族、政治家、作家、俳優などが滞在し、ココ・シャネルも晩年までリッツを住居にしていたことや、アーネスト・ヘミングウェイも長期滞在客であり、バーにその名前を残しています(バー・ヘミングウェイ)。そして、マルセル・プルーストも「リッツのプルースト」と呼ばれるほどこのホテルを愛用するようになり、リッツで晩さん会を主催したり、部屋で執筆したり、外出できなくなるまでリッツに通ったとのこと(参考:海野 弘著「プルーストの部屋」中央公論社)。
リッツ・パリは大改築のため長期休業していましたが、今年6月に営業再開し、サロン・プルーストがオープンしました。出発前に雑誌でこの記事を読み、ノルマンディからパリに移動した翌日にさっそく行ってみました。
豪華なサロンでありながら、あたたかみを感じるのは中央のテーブルに美しく美味しそうなお菓子が並べられているからでしょうか?
サロンのスタッフがまずプルーストについて説明してくれます(フランス語か英語)。
まず、ミルクに浸された小さなマドレーヌが運ばれてきます。イギリスのアフタヌーンティのようにサンドイッチはなく、焼き菓子がメイン。いくつか食べましたがどれも本当に美味しいのですが、こんなに食べられません。
食べられなかった分は(ほとんど食べられず)お土産用に箱に入れてくれました。
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前回の旅行では、一泊だけリッツに宿泊しました。宿泊した部屋の窓を開けたらシャネルのお店が見えました。そのとき、なぜココ・シャネルがリッツに住んでいたのかがわかりました。プルーストのお気に入りのレスパドン ( L’Espadon )でディナーをし、ヘミングウェイのバーにも行きました。たぶん私の人生の中で一番ゴージャスな2日間であったと思います。
記憶の中のヴォージュ広場(Place des Vosges)
記憶の中のヴォージュ広場はモノクロ。
20代の頃初めてパリに行ったときに一番魅了された場所でした。それは真冬の曇った日で、その天気はこの広場によく似あっていました。行く前に読んだのか、帰って来てからのことだったのか、ある雑誌にヴォージュ広場が舞台のショートストーリーが載っていました。しばらく前からそのストーリーを思い出そうとして記憶をたどってみたり、webで検索したりしているのですが、思い出すことも出来ず、検索しても見つからず、今ではそのストーリーは本当に存在したのかと疑問に思うようになりました。
10年前、今回とこの広場を訪れましたが、私の記憶の中に生きているモノクロの風景とはだいぶ変わり、芝生の上で昼寝をする人、学校帰りに遊ぶ子供たち、ベンチでランチする人など、市民の憩いの場となっているようです。前回も今回も少々がっかりしたのですが、おそらく記憶の中でこの広場のイメージはどんどん美化されているのかもしれません。それでも、もしまたパリに行くことがあったら、私はまたここを訪れると思います。
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マレ地区にあるヴォージュ広場周辺には、王族や大貴族の城館が残っており、美術館、博物館、図書館として公開されています。ユゴー記念館、カルナヴァレ美術館、ピカソ美術館に行きました。今は図書館となっているサンス館はアンリ4世の妃マルグリット・ヴァロワ(王妃マルゴ)が住んでいたそうです。