旅
夏の花 – 旅の記憶
旅の記憶、さて、どこから始めましょう。時の流れに従ってがいいのか、訪れた街や村別がいいのか悩みますが、頭に浮かんできた事からポツポツと綴るのが私らしいのかなと思います。
私は花の写真を撮るのが好きなので、旅行中もつい花に目がいってしまいます。そうするとつい寄って撮りたくなります。花の写真をアップで撮るなら、家の近所で撮っても同じなのに。それでもなぜ撮るか。たぶん後でその写真を見たときに、その時のまわりの風景や人の気配、音、空気などが映画の1シーンのように蘇ってくるから、蘇ってくることを期待して撮るのでしょう。
7月の旅で最初に訪れたボルドー。パリに到着後国内線に乗り換えてボルドーに行きました。乗る予定のフライトが直前でキャンセルになり、次の最終日に乗れました。ボルドーの空港ではタクシーが長蛇の列。翌朝、ホテル付近を散歩しました。朝の光が古い街並みを照らしていました。ガロンヌ川沿いが公園のようになっていて、たくさんの花が咲いていました。近づいてみると、私の好きな夏の花、エキナセアでした。
ノウゼンカズラ、アガパンサス、木槿、芙蓉など、見慣れた花に出会うと親しい友人に再会したような気分になります。
ボルドーのワインシャトーのノウゼンカズラ
サンジャンドリュズのアガパンサス
エペルネの木槿
ランスの芙蓉
夏の旅
9月になりました。前回の更新から2ヶ月以上過ぎてしまい、こちらのサイトに訪問していて下さった方も、自然消滅してしまったかと思われているかもしれません。(FacebookやInstagramでは、ほぼ毎日何かをアップしているのですが)
7月、8月は、フランス(1日だけスペインのサンセバスチャン、数日イタリアのベニス)への旅に出かけました。もちろんずっと行っていたわけではなく、各2週間ちょっとずつ、一度帰ってきてまた行きました。数えてみたら飛行機に9回、TGVに7回乗っていました。こういうことは今までもなかったし、これからもないでしょう。
訪れたところは、ボルドー、バスク地方(フランスのサンジャンドリュズ、スペインのサンセバスチャン)、ランス、パリ、ブルターニュ、レンヌ、ロワール、ベニスです。真夏に毎日たくさんたくさん歩きました。今のうちにまとめておかないと、すぐに記憶が曖昧になってしまうので(それもいいのですが)、私自身のためにもこちらに「旅の記憶」を綴っておこうと思います。サン=
*上の写真は、ボルドーでのワインシャトー巡りの際に立ち寄った、サン=テミリオン
(Saint-Émilion)での1枚です。サン=テミリオン地域の名でユネスコの世界遺産に登録されているそうです。サン=テミリオンのことはまた別途書きたいと思います。
There Is Never Any End to Paris (パリに終わりなし)
Ritz のバーにヘミングウェイがF・スコット・フィッツジェラルドに連れられて初めて来たのは1920年代後半のことで、当時フィッツジェラルドはすでに作家として有名で、このバーの常連となっていたそうです。ヘミングウェイはまだこのころは毎週このバーで飲むほどの稼ぎはなかったものの、のちにバーだけではなく、ホテルの部屋にも好きなだけ滞在することが出来るようになったとのこと。(参考:ヘミングウェイのパリ・ガイド 今村楯夫著)
ヘミングウェイには、「A Moveable Feast(移動祝祭日)」という1920年代のパリについて書かれた作品があります。この作品の扉には、
もしきみが幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる
なぜならばパリは
移動祝祭日だからだ
―――――――ある友へ
(「移動祝祭日」福田陸太郎訳)
と書かれていて、「サン・ミシェル広場の良いカフェ」から始まり、「シェイクスピア書店」「セーヌの人々」「飢えは良い修行だった」「スコット・フィッツジェラルド」など、パリにおける修行時代のことが書かれていて、「パリに終わりなし」で終わっています。
最後の部分は、
パリには決して終わりがない。そこに住んだ人の思い出は、他のだれの思い出ともちがう。私たちは常にパリへ帰った。その私たちというのが、だれであったにせよ、また、どんなにパリが変わったにせよ、あるいは、どんなに苦労して、または、どんなに容易に、パリへもどれたにしても。パリは常にその値打ちがあった。きみがそこへ何をもって行っても、そのお返しを受けるのだった。だが、これは、私たちがとても貧乏でとても楽しかった昔のパリのことである。
(「移動祝祭日」より抜粋)
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長期にわたってノルマンディ、パリの旅の記録を書いてきましたが、とりあえずこれで終わりにします。自分自身の旅の記録として、また何人かの方がノルマンディは行ったことがないので様子を知りたいとおっしゃっていたので、何かの参考になればと思い綴ってきました。今振り返ってみると、つい先日のようにも思えますし、ずいぶん昔のことのようにも思えます。その時のシーン、会話などが鮮明に思い出されるところもあれば、あれ?どうだったのかな?とすでに忘れてしまったこともありますが、とても良い旅でした。またフランスに行く機会があったとしたら次はどこに行きたい?と聞かれたら、「ノルマンディもまた行きたいと思うし、パリ以外の地方も行きたいし、やっぱりパリはもう少し長く滞在したい」と答えるでしょう。パリには終わりがないですものね。そして、心の中では「1920年代のパリに行きたいな」なんて思うかもしれません。
Hôtel Ritz (リッツホテル)
パリには、有名なホテルがいくつもありますが、その中でも、リッツは特別なホテルだと思います。多くの王侯貴族、政治家、作家、俳優などが滞在し、ココ・シャネルも晩年までリッツを住居にしていたことや、アーネスト・ヘミングウェイも長期滞在客であり、バーにその名前を残しています(バー・ヘミングウェイ)。そして、マルセル・プルーストも「リッツのプルースト」と呼ばれるほどこのホテルを愛用するようになり、リッツで晩さん会を主催したり、部屋で執筆したり、外出できなくなるまでリッツに通ったとのこと(参考:海野 弘著「プルーストの部屋」中央公論社)。
リッツ・パリは大改築のため長期休業していましたが、今年6月に営業再開し、サロン・プルーストがオープンしました。出発前に雑誌でこの記事を読み、ノルマンディからパリに移動した翌日にさっそく行ってみました。
豪華なサロンでありながら、あたたかみを感じるのは中央のテーブルに美しく美味しそうなお菓子が並べられているからでしょうか?
サロンのスタッフがまずプルーストについて説明してくれます(フランス語か英語)。
まず、ミルクに浸された小さなマドレーヌが運ばれてきます。イギリスのアフタヌーンティのようにサンドイッチはなく、焼き菓子がメイン。いくつか食べましたがどれも本当に美味しいのですが、こんなに食べられません。
食べられなかった分は(ほとんど食べられず)お土産用に箱に入れてくれました。
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前回の旅行では、一泊だけリッツに宿泊しました。宿泊した部屋の窓を開けたらシャネルのお店が見えました。そのとき、なぜココ・シャネルがリッツに住んでいたのかがわかりました。プルーストのお気に入りのレスパドン ( L’Espadon )でディナーをし、ヘミングウェイのバーにも行きました。たぶん私の人生の中で一番ゴージャスな2日間であったと思います。
記憶の中のヴォージュ広場(Place des Vosges)
記憶の中のヴォージュ広場はモノクロ。
20代の頃初めてパリに行ったときに一番魅了された場所でした。それは真冬の曇った日で、その天気はこの広場によく似あっていました。行く前に読んだのか、帰って来てからのことだったのか、ある雑誌にヴォージュ広場が舞台のショートストーリーが載っていました。しばらく前からそのストーリーを思い出そうとして記憶をたどってみたり、webで検索したりしているのですが、思い出すことも出来ず、検索しても見つからず、今ではそのストーリーは本当に存在したのかと疑問に思うようになりました。
10年前、今回とこの広場を訪れましたが、私の記憶の中に生きているモノクロの風景とはだいぶ変わり、芝生の上で昼寝をする人、学校帰りに遊ぶ子供たち、ベンチでランチする人など、市民の憩いの場となっているようです。前回も今回も少々がっかりしたのですが、おそらく記憶の中でこの広場のイメージはどんどん美化されているのかもしれません。それでも、もしまたパリに行くことがあったら、私はまたここを訪れると思います。
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マレ地区にあるヴォージュ広場周辺には、王族や大貴族の城館が残っており、美術館、博物館、図書館として公開されています。ユゴー記念館、カルナヴァレ美術館、ピカソ美術館に行きました。今は図書館となっているサンス館はアンリ4世の妃マルグリット・ヴァロワ(王妃マルゴ)が住んでいたそうです。
美しい一皿 – Le Jardin des Plumes
モネの庭より15分ぐらい歩いたところにある1軒家のレストラン、看板猫が出迎えてくれます。
白いプレートはキャンバス、お料理はそこに描かれた庭のような美しい一皿。目で楽しみながら、お味を堪能しました。
Le Jardin des Plumes http://www.jardindesplumes.fr/
庭の美しいレストランでした。
Givernyには主人の友人ご夫妻に車で連れて行ってもらいました。モネの家、庭とこちらでのランチをご一緒して、とても楽しく思い出に残る一日となりました。
小雨の降る日にGivernyへ – モネの庭
ジヴェルニー(Giverny)に行った日は前日に見た天気予報通り、雨が降っていました。行ったことのある人のお話を聞いたり、雑誌で見たりして、ここには一度行きたいと思っていました。
クロード・モネは、自分の最高傑作は「庭」だと言っていたそうです。睡蓮の池を中心とした水の庭と様々な色彩の花が植えられた花の庭の2つの庭から成り立っています。小雨の降る睡蓮の庭も風情がありましたが、睡蓮の季節には少々遅かったようです。
その代り、シュウメイギクがとてもきれいに咲いていました。
モネの庭はオープンしている間(4月から10月末まで)は様々な花が咲くように整えられており、ダリアなどきれいに咲いていましたが、写真集を見る限り、やはり春がいいのかなと思いました。
下の2枚は、翌日に行ったオランジュリー美術館のモネの睡蓮の部屋。
モネの庭を後にして、歩いて15分ぐらいのところにあるレストランに向かいました。途中に小さな教会があり、ここにモネは眠っています。
以前、パリのペールラシェーズ墓地に行ったことがありますが、有名な作家、音楽家などのお墓もたくさんありました。43歳から86歳で亡くなるまで、この地に住み、庭を愛したモネは、多くの人がモネの庭を愛し、訪れる様子をここから眺めているのかもしれません。
パリの夜、夜のパリ
ホテルで朝流れていた音楽は映画「死刑台のエレベーター」のテーマで、この映画はルイ・マル監督25歳の時のデビュー作で、音楽はマイルス・デイヴィス、主演はジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ。ここであらすじを書くまでもないことだと思いますので省略しますが、夜のパリをジュリアン(モーリス・ロネ)を探してさ迷い歩くフロランス(ジャンヌ・モロー)、マイルスの音楽、モノクロ、これほど完璧に美しいシーンはないと初めて観たときに思いました。この映画をいつ観たのか、どこで観たのか、名画座で観たのか、テレビで観たのかまったく思い出せないのですが、のちに迷うことなくDVDを買いました。DVDについていた解説によると、音楽は、マイルスがジャズクラブでの演奏のない夜の11時から翌朝5時までかけて録音を行ったとのこと。すべて即興による演奏は、およそ18分だったそうです。
さて、私たちのパリの夜ですが、一日だけ、大変ゴージャスなディナーに行きました。レストランの窓から、セーヌとノートルダムが見えました。お天気がよければ、美しい日没が見えたのでしょうが、この日は曇のお天気、かすかに空がピンク色に染まりました。
味が落ちた、サービスがあまり良くないと言われていましたが、どのお料理も大変美味しく、美しく、サービスもとても心地よかったです。日本人のソムリエがいて、とても嬉しく思いました。海外で活躍している日本人に会うと嬉しくなります。
レストランからホテルまでは徒歩15分ぐらいの場所だったので、歩いて帰ることにしました。ジャンヌ・モローのように恋人の姿を求めてさまよい歩くのではなく、お腹がいっぱいで少し歩かなくてはと思ったから?いえ、いえ、夜のパリを少し歩いてみたかったからということにしておきましょう。
パリのホテル
ノルマンディからパリに移動。当初ノルマディ1週間、パリ1週間と思っていたのですが、グランドホテルが週末は空いていなくて、結局パリは4泊になりました。そのうち、一日は主人の友人ご夫妻がジベルニーに連れて行ってくれることになっていたので、パリで過ごせる日は正味2日。ノルマンディ旅行記は、日程に沿って記述してきましたが、パリは思いつくままに書こうと思います。
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旅行に行くことが決まって、フライトの予約をして、次はホテルの予約。ノルマンディのホテルはすぐに決まりましたが、パリはどこに泊まろうか悩みました。そこで、パリによく行く友人に聞いたら、いろいろ教えてくださり、アドバイスを参考に、サンジェルマンのホテルを予約しました。このホテルは、ほぼ毎晩、ジャズの演奏があるということが決め手となりました。二晩、パリでジャズを楽しみました。
このホテルでは朝食は取らなかったのですが、朝新聞を取りに行ったら、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」の音楽が流れていました。朝からこの曲か、、、と思いましたが、このホテルの雰囲気には合っていました。私の大好きな映画ですし。
ホテルの中庭。
夜のバー。
このバラがいたるとこに飾れていました。
客室内は、サロン風ではなく、モダンなテイストでした。
リゾート地と違って、パリの場合、ほとんど外出していて寝るだけのようなものですが、とてもリラックスできる快適な部屋でした。
ノルマンディの旅の終わり
ノルマンディ最終日の朝。自宅にいても、旅先でも、何時に起きようと、朝一番で窓を開け朝の空気を感じる時間が好きです。
そして、私は朝ご飯が一番好き。海側のダイニングルームで朝食。
きっとディナーも大変おいしく、素敵な雰囲気だったと思いますが、私たちは前述のノルマンディのお宅でディナーをご馳走になったので、グランドホテルでは昼食と朝食のみ。
海からの窓ガラス越しの光がとても美しくて、心に残る朝食シーンでした。
借りていた車を返しに再びドーヴィルへ。トゥルーヴィル・ドーヴィル駅 (Gare de Trouville-Deauville)からSNCFでパリに向かいます。トゥルーヴィル・ドーヴィルからパリへの直通の電車は本数が少なく(途中乗り換えすれば数本ありますが、荷物があるため乗り換えはしたくなかったので)、19時11分発の列車を予約しました。チェックアウトぎりぎりまで部屋でくつろいだり、ホテル周辺を散歩して過ごしました。快晴。夏のような日差し。
トゥルーヴィルとドーヴィルは隣接した街ですが、高級住宅街、高級リゾート地の雰囲気のあるドーヴィルに対して、トゥルーヴィルは庶民的な感じ。海辺のレストランでサラダ程度の簡単なランチをしました。
ランチの後、街を散歩し、ドーヴィルのレンタカー屋さんへ車を戻し、タクシーを呼んでもらって、駅へ。トゥルーヴィル・ドーヴィル駅周辺にはカフェもなく、駅の待合室で過ごしました。
SNCFでパリに向かう間、空の色が印象派の絵のような色に刻々と変化する様子を眺め、ノルマディの旅の余韻に浸りました。旅の終わりはいつもほんの少し淋しさを感じます。