日々のこと
Hôtel Ritz (リッツホテル)
パリには、有名なホテルがいくつもありますが、その中でも、リッツは特別なホテルだと思います。多くの王侯貴族、政治家、作家、俳優などが滞在し、ココ・シャネルも晩年までリッツを住居にしていたことや、アーネスト・ヘミングウェイも長期滞在客であり、バーにその名前を残しています(バー・ヘミングウェイ)。そして、マルセル・プルーストも「リッツのプルースト」と呼ばれるほどこのホテルを愛用するようになり、リッツで晩さん会を主催したり、部屋で執筆したり、外出できなくなるまでリッツに通ったとのこと(参考:海野 弘著「プルーストの部屋」中央公論社)。
リッツ・パリは大改築のため長期休業していましたが、今年6月に営業再開し、サロン・プルーストがオープンしました。出発前に雑誌でこの記事を読み、ノルマンディからパリに移動した翌日にさっそく行ってみました。
豪華なサロンでありながら、あたたかみを感じるのは中央のテーブルに美しく美味しそうなお菓子が並べられているからでしょうか?
サロンのスタッフがまずプルーストについて説明してくれます(フランス語か英語)。
まず、ミルクに浸された小さなマドレーヌが運ばれてきます。イギリスのアフタヌーンティのようにサンドイッチはなく、焼き菓子がメイン。いくつか食べましたがどれも本当に美味しいのですが、こんなに食べられません。
食べられなかった分は(ほとんど食べられず)お土産用に箱に入れてくれました。
***
前回の旅行では、一泊だけリッツに宿泊しました。宿泊した部屋の窓を開けたらシャネルのお店が見えました。そのとき、なぜココ・シャネルがリッツに住んでいたのかがわかりました。プルーストのお気に入りのレスパドン ( L’Espadon )でディナーをし、ヘミングウェイのバーにも行きました。たぶん私の人生の中で一番ゴージャスな2日間であったと思います。
記憶の中のヴォージュ広場(Place des Vosges)
記憶の中のヴォージュ広場はモノクロ。
20代の頃初めてパリに行ったときに一番魅了された場所でした。それは真冬の曇った日で、その天気はこの広場によく似あっていました。行く前に読んだのか、帰って来てからのことだったのか、ある雑誌にヴォージュ広場が舞台のショートストーリーが載っていました。しばらく前からそのストーリーを思い出そうとして記憶をたどってみたり、webで検索したりしているのですが、思い出すことも出来ず、検索しても見つからず、今ではそのストーリーは本当に存在したのかと疑問に思うようになりました。
10年前、今回とこの広場を訪れましたが、私の記憶の中に生きているモノクロの風景とはだいぶ変わり、芝生の上で昼寝をする人、学校帰りに遊ぶ子供たち、ベンチでランチする人など、市民の憩いの場となっているようです。前回も今回も少々がっかりしたのですが、おそらく記憶の中でこの広場のイメージはどんどん美化されているのかもしれません。それでも、もしまたパリに行くことがあったら、私はまたここを訪れると思います。
*****
マレ地区にあるヴォージュ広場周辺には、王族や大貴族の城館が残っており、美術館、博物館、図書館として公開されています。ユゴー記念館、カルナヴァレ美術館、ピカソ美術館に行きました。今は図書館となっているサンス館はアンリ4世の妃マルグリット・ヴァロワ(王妃マルゴ)が住んでいたそうです。
美しい一皿 – Le Jardin des Plumes
モネの庭より15分ぐらい歩いたところにある1軒家のレストラン、看板猫が出迎えてくれます。
白いプレートはキャンバス、お料理はそこに描かれた庭のような美しい一皿。目で楽しみながら、お味を堪能しました。
Le Jardin des Plumes http://www.jardindesplumes.fr/
庭の美しいレストランでした。
Givernyには主人の友人ご夫妻に車で連れて行ってもらいました。モネの家、庭とこちらでのランチをご一緒して、とても楽しく思い出に残る一日となりました。
小雨の降る日にGivernyへ – モネの庭
ジヴェルニー(Giverny)に行った日は前日に見た天気予報通り、雨が降っていました。行ったことのある人のお話を聞いたり、雑誌で見たりして、ここには一度行きたいと思っていました。
クロード・モネは、自分の最高傑作は「庭」だと言っていたそうです。睡蓮の池を中心とした水の庭と様々な色彩の花が植えられた花の庭の2つの庭から成り立っています。小雨の降る睡蓮の庭も風情がありましたが、睡蓮の季節には少々遅かったようです。
その代り、シュウメイギクがとてもきれいに咲いていました。
モネの庭はオープンしている間(4月から10月末まで)は様々な花が咲くように整えられており、ダリアなどきれいに咲いていましたが、写真集を見る限り、やはり春がいいのかなと思いました。
下の2枚は、翌日に行ったオランジュリー美術館のモネの睡蓮の部屋。
モネの庭を後にして、歩いて15分ぐらいのところにあるレストランに向かいました。途中に小さな教会があり、ここにモネは眠っています。
以前、パリのペールラシェーズ墓地に行ったことがありますが、有名な作家、音楽家などのお墓もたくさんありました。43歳から86歳で亡くなるまで、この地に住み、庭を愛したモネは、多くの人がモネの庭を愛し、訪れる様子をここから眺めているのかもしれません。
パリの夜、夜のパリ
ホテルで朝流れていた音楽は映画「死刑台のエレベーター」のテーマで、この映画はルイ・マル監督25歳の時のデビュー作で、音楽はマイルス・デイヴィス、主演はジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ。ここであらすじを書くまでもないことだと思いますので省略しますが、夜のパリをジュリアン(モーリス・ロネ)を探してさ迷い歩くフロランス(ジャンヌ・モロー)、マイルスの音楽、モノクロ、これほど完璧に美しいシーンはないと初めて観たときに思いました。この映画をいつ観たのか、どこで観たのか、名画座で観たのか、テレビで観たのかまったく思い出せないのですが、のちに迷うことなくDVDを買いました。DVDについていた解説によると、音楽は、マイルスがジャズクラブでの演奏のない夜の11時から翌朝5時までかけて録音を行ったとのこと。すべて即興による演奏は、およそ18分だったそうです。
さて、私たちのパリの夜ですが、一日だけ、大変ゴージャスなディナーに行きました。レストランの窓から、セーヌとノートルダムが見えました。お天気がよければ、美しい日没が見えたのでしょうが、この日は曇のお天気、かすかに空がピンク色に染まりました。
味が落ちた、サービスがあまり良くないと言われていましたが、どのお料理も大変美味しく、美しく、サービスもとても心地よかったです。日本人のソムリエがいて、とても嬉しく思いました。海外で活躍している日本人に会うと嬉しくなります。
レストランからホテルまでは徒歩15分ぐらいの場所だったので、歩いて帰ることにしました。ジャンヌ・モローのように恋人の姿を求めてさまよい歩くのではなく、お腹がいっぱいで少し歩かなくてはと思ったから?いえ、いえ、夜のパリを少し歩いてみたかったからということにしておきましょう。
パリのホテル
ノルマンディからパリに移動。当初ノルマディ1週間、パリ1週間と思っていたのですが、グランドホテルが週末は空いていなくて、結局パリは4泊になりました。そのうち、一日は主人の友人ご夫妻がジベルニーに連れて行ってくれることになっていたので、パリで過ごせる日は正味2日。ノルマンディ旅行記は、日程に沿って記述してきましたが、パリは思いつくままに書こうと思います。
*******
旅行に行くことが決まって、フライトの予約をして、次はホテルの予約。ノルマンディのホテルはすぐに決まりましたが、パリはどこに泊まろうか悩みました。そこで、パリによく行く友人に聞いたら、いろいろ教えてくださり、アドバイスを参考に、サンジェルマンのホテルを予約しました。このホテルは、ほぼ毎晩、ジャズの演奏があるということが決め手となりました。二晩、パリでジャズを楽しみました。
このホテルでは朝食は取らなかったのですが、朝新聞を取りに行ったら、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」の音楽が流れていました。朝からこの曲か、、、と思いましたが、このホテルの雰囲気には合っていました。私の大好きな映画ですし。
ホテルの中庭。
夜のバー。
このバラがいたるとこに飾れていました。
客室内は、サロン風ではなく、モダンなテイストでした。
リゾート地と違って、パリの場合、ほとんど外出していて寝るだけのようなものですが、とてもリラックスできる快適な部屋でした。
ノルマンディの旅の終わり
ノルマンディ最終日の朝。自宅にいても、旅先でも、何時に起きようと、朝一番で窓を開け朝の空気を感じる時間が好きです。
そして、私は朝ご飯が一番好き。海側のダイニングルームで朝食。
きっとディナーも大変おいしく、素敵な雰囲気だったと思いますが、私たちは前述のノルマンディのお宅でディナーをご馳走になったので、グランドホテルでは昼食と朝食のみ。
海からの窓ガラス越しの光がとても美しくて、心に残る朝食シーンでした。
借りていた車を返しに再びドーヴィルへ。トゥルーヴィル・ドーヴィル駅 (Gare de Trouville-Deauville)からSNCFでパリに向かいます。トゥルーヴィル・ドーヴィルからパリへの直通の電車は本数が少なく(途中乗り換えすれば数本ありますが、荷物があるため乗り換えはしたくなかったので)、19時11分発の列車を予約しました。チェックアウトぎりぎりまで部屋でくつろいだり、ホテル周辺を散歩して過ごしました。快晴。夏のような日差し。
トゥルーヴィルとドーヴィルは隣接した街ですが、高級住宅街、高級リゾート地の雰囲気のあるドーヴィルに対して、トゥルーヴィルは庶民的な感じ。海辺のレストランでサラダ程度の簡単なランチをしました。
ランチの後、街を散歩し、ドーヴィルのレンタカー屋さんへ車を戻し、タクシーを呼んでもらって、駅へ。トゥルーヴィル・ドーヴィル駅周辺にはカフェもなく、駅の待合室で過ごしました。
SNCFでパリに向かう間、空の色が印象派の絵のような色に刻々と変化する様子を眺め、ノルマディの旅の余韻に浸りました。旅の終わりはいつもほんの少し淋しさを感じます。
マルセル・プルーストを巡る旅 – 2
シーン・6 バルベック・プラージュのグランド・ホテルの屋外。午後。
薄手の絹地の服を、エレガントに着こなした、ブロンドの、背が高く、ほっそりとした青年。それがロベール・ド・サン=ルーである。一見して、きざな感じである。モノクルをかけているのは、必要からよりも、紐のはしで、それを握りまわすことを愉しみたいからだ。
テラスに腰を下ろしたマルセルは、ホテルに入って来て、そばを通りすぎるこの青年の様子をうかがっている。(ヴィスコンティシナリオより)
宿泊した部屋は海側のバルコニー付きにしました。
バルコニーからの風景。
プルーストが実際に宿泊した部屋は当時のインテリアを再現しているそうです。
ヴィスコンティの映画は幻で終わりましたが、ラウル・ルイス監督作品「見出された時」にはこのホテルが登場します。
「プルーストを巡るノルマンディの旅」はこれで終わりですが、「プルーストを巡る旅」はパリへ。ノルマンディの旅はあと1回で終わります。
マルセル・プルーストを巡る旅 – 1
「ノルマンディの旅」の最終目的地は、カブール(Cabourg)。今回の旅の目的は2つあり、一つは「印象派を巡る旅」もう一つは「マルセル・プルーストを巡る旅」でした。フランスの作家マルセル・プルースト(1871-1922)は「失われた時を求めて」の中で、バルベック(Balbec)という架空の土地を舞台の一つとして描いています。このバルベックのモデルとなった土地がカブールで、実際に小説の中で記述されているグランドホテルは、カブールのグランドホテルのことで、プルーストは数年の間毎年夏に訪れていたそうです。
(ここでおことわりしておかないといけないことがありました。私は「失われた時を求めて」は現在も購読中で、私の知識は、抄訳版、プルースト関係の本、「失われた時を求めて」関係の本、画集、写真集、映画、そして主人からのインプットによるものです。)
実は私たちの「マルセル・プルーストを巡る旅」は第2弾で、10年にすでにスタートしていました。10年前は、小説の中で重要な舞台、コンブレーのモデルとなっているイリエ・コンブレー(シャルトルの大聖堂の近く)のプルースト記念館を訪問し、プルーストが眠るペールラシェーズの墓地へお墓参りにも行きました。この墓地には、ショパン、アポリネール、オスカー・ワイルド、ピアフなど著名人が大勢眠っています。
おそらく主人は、次はバルベックと考えていたのだと思います。一方、私の一番好きな映画監督はルキノ・ヴィスコンティ。ずいぶん前に、一冊の本と出合いました。それは、なんとヴィスコンティ監督がプルースト作品の映画化のために完成させていたシナリオでした。この本、ハードカバーを持っていたにもかかわらず、今手元に残っているのは文庫本のみ。ヴィスコンティ監督はロケ・ハンも終えていたそうです。下の画像の上に置かれた紺色の本はオリジナルテキスト(フランス語)で、下の右側は日本語訳(ちくま文庫版)、左側は、ロケ・ハンの写真集です。文庫本に写っているのは、カブールのグランドホテルと、衣装担当のピエロ・トージのデザイン。衣装も決まっていたのですね。
シーン・1 田園。屋外。昼。夏。
バルベックに向う小さな汽車が、陽の照った田園の中を、進んで行く。黒煙を高く棚び、かせながら、ゆっくりと―苦しそうに―進む、このc小さな汽車以外には、生きものの気配は全くない。(上記ちくま文庫、大條成昭訳)
想定していた配役は、マルセル(実際に小説の中では、「わたし」)にアラン・ドロン、モレルにヘルムート・バーガー、オリアーヌ・ド・ゲルマントにシルヴァーナ・マンガーノ、シャルリュス男爵にマーロン・ブランドまたはローレンス・オリヴィエ、アルベルチーヌにシャルロット・ランプリング、ナポリ女王にグレタ・ガルボ。時間を戻せるものなら、この時代に戻って、ヴィスコンティ監督の寿命をあと数年伸ばしてもらって、映画を完成させて欲しかった、、、
プルーストの作品は2つ映画化されています。「スワンの恋」と「見出された時」。この映画しかないのでDVDも持っていますが、もしヴィスコンティ監督の映画化が完成されていたら、比較されてしまって気の毒だったと思います。
長くなってしまいましたので、次回に続けます。下の画像は、海側から眺めたグランドホテル。
ノルマンディの家
ノルマンディの旅もそろそろ終わりに近づいてきました。ル・アーブルから今回の旅のもう一つのテーマであるCabourg(カブール)へ。カブールのお話の前に、主人の友人ご夫妻と一緒に尋ねたノルマンディ在住のお友達の家のことを書いておこうと思います。
カブールから車で2,30分ののどかな村の中の家。この家はもともとご主人のお祖母様が住んでいらしたそうです。亡くなられて、建物の外観は修復しつつそのまま残し、内部をリノベーションされたとのこと。当時はパリに住んでいて、毎週のように通ってリノベーションされたそうです。
隣は牧場。馬がいました。
家の中を見せてもらいましたが、居心地のよさそうなリビング、寝室、使いやすそうな広いキッチン。
素敵だったのは、屋根裏のゲストルーム。
ここにホームステイしたい!
奥様はとても感じの良い方で、お料理を作るところを見せてもらったり、レシピを説明してもらったり。私は一般の家庭で実際に使われているお鍋や調味料にも興味があったので、とても楽しい時間でした。フランス語と英語がちゃんぽんでも、お料理のことだと何となく話はわかるものですね。砂肝のサラダがとても美味しかったので、今度作ってみようと思います。
ラズベリー色のエプロンとコンフィチュールをお土産にいただきました。
旅に出て、実際にその土地に住んでいる方のご自宅を訪問するのは、とても楽しく、レストランでの食事が続く中、家庭料理をご馳走になると、心も胃もほっとします。そう、ほっとするようなあたたかいおもてなしを受けたからだと思います。